セラピストアフロマンの日記

リラクゼーションが生業のアフロマン。ドラマーとちょこっとギターヴォーカルな仏教徒

セラピストアフロマン とうとう臨時休業へ突入

令和2年 4月16日(木)

 働くことに、とうとうストップがかかった。

明日4月の17日(金) より、自身が働かせてもらっているリラクゼーションサロンが臨時休業宣言!!

 

働かなくなるということは、稼げなくなるということ、

稼げなくなるということは、お金に困ることになるということ、

お金に困ることになるということは、、、まぁ、そういうことですよね 笑

 

でも、なんだろう、、、言葉が見つからないのだが、、、それでも、たしかに言えることとすれば、全くもって、落ち込んではいないということ。

近い言葉とすれば、「清々しい」という言葉かな。

普通は、働けなくてお金がなくなると切迫するわけで、困窮となるわけで、、それが苦しみなわけで

 

あらためて、この困窮という言葉を調べてみる。

普段遣いしない言葉が出てくると、その言葉の本来の意味を調べるというクセがわたくしにはある。

 

困窮とは、

困り苦しむこと、困り果てること、

貧しいために、生活に苦しむこと、

貧乏で生活に苦しむこと、

行き詰まって処置に苦しむこと、

などなど。

どれにも該当しない心持ちで、今いるのだ。

強いてあげるなら、しばらくすると「行き詰まって処置に苦しむこと」が起きるであろう。それにしたって、「行き詰まって処置に困る」ことはあっても「苦しむ」となるのかどうなのか、、まぁ、なるかもね 笑

ちなみに、苦しむとは、ココロやカラダに苦痛を感じるということ。それは今のところ毛頭ない。

まぁ、ざっと20代の頃からの困窮により、困窮することにももはや慣れてしまったのかもしれません。(笑)

あるいは今後、あらためて困窮を味わうのかもしれない。

不況ということについては間違いなくこれまでと比べることのできない、想像を遥かに超えに超えてくることが巻き起こるのであろうゆえに。

 

ラクゼーションを生業と言えるようになってから、「たとえば、極論お店が無くなってもいかようにもできる」と思ってきた。言うなればそれに近い状況なのである。

そしてそれらを踏まえて、自らの人生の流れを自分勝手に解釈をすると、「ここからが、本当の人生のはじまり」という解釈に至るのである。これは、いま書いていてたどり着いた言葉だ。うんうん、なるほど、このあたりなのかな、ココロもカラダも苦痛と感じていないのは。

あらためて、より清々しい。

 

世は移り変わるもの、まさに諸行無常

執着をすて、いまあるものを大事に、、そしてまた執着をすて、、今を生きる。これを和製PDCAとわたくしは言っている。(笑)

そして本来、すべてにおいて実態のないもの。

色即是空 空即是色。。仏説摩訶般若波羅蜜多心経

苦痛を苦痛と思えば苦痛だし、苦痛と思わなければ、なんてことはない。

 

いまやれること、そしてそこに少しばかりの智慧によってやりたいことに変換できれば道は開ける。

そして、わたくしのやりたいこととは、

すべてにおいて「他者に尽力する」ということである。それを生業として生きていくことができれば、もう何もいうことはあるまい。

 

ようやく、そこにたどり着いた。

いままでの苦しみたちよ!ありがとう!!