ゼロ100思考を改めてみようと思いませんか
なんとなく、、これは、体感でしかないので、、
この文書を書きながら、整理してみたいと思います。
たとえば、安倍総理は良いのか悪いのか、、
たとえば、自粛中そんなに急用でもないが外に出ることが、良いのか悪いのか、、
たとえば、休業要請中に従わないことが、良いのか悪いのか。そして、それを何でもない一般人の正義感からなのか何なのか、、それすらもわからない、いわゆる「自粛警察」が良いのか悪いのか。
先に言ってしまうけれども、ゼロ100思考はなるべくしないようにしたいと日頃から思っている。
安倍総理、、、よく言われるけれども、「国民に選ばれた人」なわけですよね。ということは、それだけのこともできる人なわけで、ある程度、安定をした日本では適任だったのでしょう、おそらく。
たまたまこの「歴史的な一大事」に発揮する「判断力と瞬発力」に欠けていたわけですよね。そして、それがハッキリと明確に分かったことで、その次は、そうならないように「政治」に関心を持ち「選ぶべき人を選ぼう」という意識が、少なからず国民全員少しずつ増したのだとしたら、今後は何かが好転する機会になるのではないですかね。
自粛中、「そんなに急な用事でもないのに、外に出るのは悪」というより、「こんなご時世に何も対処せず、無闇に出歩くことはよく無い」のでしょう。
対処法や気をつけるべきことは、散々言われているし、自分で調べることもできる。
適度な運動を日常化されている方々は、「知恵」を持って、どうすればできるかを真剣に考えて実践することが必要なわけです。
休業要請に従わない、、というか従えないと思いこんで、「閉めたら稼げない、死ねということか」と解釈をしてしまう。そう思うのは仕方のないことだと思います。それだけ「真面目に」仕事に向き合っている証拠です。どこかで「不真面目」な私は、なんとかなるだろうと思い、、「働かない=死」という思考には至らないで済んでいる。それでも、やはり日本らしさというか、「目に見える助成の姿勢」は、速攻で示さなくてはならなかったですよね。それについても、「できない何か」があったのか、それとも、ただただ、「危機感」に現場と総理と相違があったのか、、、
もう一つ、「パチンコは悪」も、然り。まだ何も見えないあの時期の休業要請に結果的に「従わない」形をとったことはあまり良いことではないのであろう。しかしながら、「パチンコ屋とパチンコをやっている人は悪」は違うと思いますよ。「好きなことにお金を使った娯楽」と捉えれば、趣味にお金を使っている人と何ら変わらない。これについて、ここではこれくらいにしておこう。「パチンコは本当に悪なのか」だけでも一つブログが書けそうだ。
そして、そこへ登場してきた!正義の味方!「自粛警察!!」笑。
悪事を許さぬべく!!取り締まる、、取り締まっているつもりなのだろう。本当に良かれと思ってやっている人もいるだろう、たぶん。色々な思考の人がいると思う。そこすらも、ゼロ100ではないのだ。と、思う。しかしながら、その手法が一方的すぎることを見た時には、「ネットで悪口を書き込むことと同じ思考」と解釈をしてしまう。それでも、だからといって、この一大事については「面と向かって話し合う」ことで解決することでもないと思うが、、、どちらにしても、「良い解決」は何も生まないことをしてしまっていることに気付いてほしい。
大袈裟なようだけれども、世の中の全てのことに「それが全て悪」とか「これをやっていれば間違いない」とか、絶対はないのでしょう。
この、劇的に移り変わる今を、このご時世を生きていく上で「ゼロ100思考」は、しっかりと脱していきたいと思う。こうして、整理している今も、「検察庁法改正の是非」について、今までにない論争が巻き起こっている。そして、「良いのか悪いのか」と考えてしまっている自分に気付く、、、
そう、、このことは、ある程度常に意識していないと、結構落ち入りやすいのだ。そして、こういう時に大事なのは「是非を問う」ことではなく、「まずはしっかりとそのことについて知る」ことなのだと思う。
この自粛期間は、そのことを見極められる良い機会として生活することにしようと思っているわけであります。
セラピストアフロマン とうとう臨時休業へ突入
令和2年 4月16日(木)
働くことに、とうとうストップがかかった。
明日4月の17日(金) より、自身が働かせてもらっているリラクゼーションサロンが臨時休業宣言!!
働かなくなるということは、稼げなくなるということ、
稼げなくなるということは、お金に困ることになるということ、
お金に困ることになるということは、、、まぁ、そういうことですよね 笑
でも、なんだろう、、、言葉が見つからないのだが、、、それでも、たしかに言えることとすれば、全くもって、落ち込んではいないということ。
近い言葉とすれば、「清々しい」という言葉かな。
普通は、働けなくてお金がなくなると切迫するわけで、困窮となるわけで、、それが苦しみなわけで
あらためて、この困窮という言葉を調べてみる。
普段遣いしない言葉が出てくると、その言葉の本来の意味を調べるというクセがわたくしにはある。
困窮とは、
困り苦しむこと、困り果てること、
貧しいために、生活に苦しむこと、
貧乏で生活に苦しむこと、
行き詰まって処置に苦しむこと、
などなど。
どれにも該当しない心持ちで、今いるのだ。
強いてあげるなら、しばらくすると「行き詰まって処置に苦しむこと」が起きるであろう。それにしたって、「行き詰まって処置に困る」ことはあっても「苦しむ」となるのかどうなのか、、まぁ、なるかもね 笑
ちなみに、苦しむとは、ココロやカラダに苦痛を感じるということ。それは今のところ毛頭ない。
まぁ、ざっと20代の頃からの困窮により、困窮することにももはや慣れてしまったのかもしれません。(笑)
あるいは今後、あらためて困窮を味わうのかもしれない。
不況ということについては間違いなくこれまでと比べることのできない、想像を遥かに超えに超えてくることが巻き起こるのであろうゆえに。
リラクゼーションを生業と言えるようになってから、「たとえば、極論お店が無くなってもいかようにもできる」と思ってきた。言うなればそれに近い状況なのである。
そしてそれらを踏まえて、自らの人生の流れを自分勝手に解釈をすると、「ここからが、本当の人生のはじまり」という解釈に至るのである。これは、いま書いていてたどり着いた言葉だ。うんうん、なるほど、このあたりなのかな、ココロもカラダも苦痛と感じていないのは。
あらためて、より清々しい。
世は移り変わるもの、まさに諸行無常。
執着をすて、いまあるものを大事に、、そしてまた執着をすて、、今を生きる。これを和製PDCAとわたくしは言っている。(笑)
そして本来、すべてにおいて実態のないもの。
色即是空 空即是色。。仏説摩訶般若波羅蜜多心経
苦痛を苦痛と思えば苦痛だし、苦痛と思わなければ、なんてことはない。
いまやれること、そしてそこに少しばかりの智慧によってやりたいことに変換できれば道は開ける。
そして、わたくしのやりたいこととは、
すべてにおいて「他者に尽力する」ということである。それを生業として生きていくことができれば、もう何もいうことはあるまい。
ようやく、そこにたどり着いた。
いままでの苦しみたちよ!ありがとう!!
コロナウイルス
やはり、自分の目で見て感じたことでなくては人は動けないということなのかもしれない。
そして、どんな言葉より、ひたむきな行動に勝るものはないということなのか。
舐めているわけでもないし、自分は罹らないとも思っていない。むしろ、眼に見えない敵に対してあらゆる情報を見聞きし、間違いのない正しい解釈をできるように努め、「罹らないそして罹っても移さない」ようにしているつもりだ。それ故に、、たまに誤った情報を鵜呑みにしてしまうこともあれば、多くの情報に、ある種「心の芯」というか、軸というか、それが右往左往してしまうこともある。それでも、心を切り替えて情報収集をしどう立ち回っていけば良いかをその都度見直してなんとか乗り越えていきたいと思うわけである。そこで、少し勘違いをしている自分にも気が付いた。その実態を知れば知るほど、というか知ったつもりになって自粛の気持ちが少し薄れていたと思う。しっかり予防をしていれば多少は外に出ても大丈夫だろうと、思ってしまっていたことに、、、
そんな中、少し気になる動画が日本に向けて寄せられている。
「海外からの忠告」的な動画だ。
自粛をしないとダメ!最悪なことになる!花見なんか呑気に行っているなんてありえない!等々、、
現地の事細かな状況を含めそれをメッセージとして送ってくれた人には大変申し訳ないが、、これについて、思うことは、、、、逆効果のような気がしてならない。
たとえば、テレビ番組やYouTubeでもそうだが、そういった「現地の状況と情報を知りたい」という主旨で行われている会話的な動画であれば、それを見聞きして思考を巡らせることができる。
けれども、自らメッセージを発信してきている人が多数いてくれていることついては、本当にその気持ちは嬉しいのだが、その有難さが、、少し通り過ぎてしまっている。あるいは、恐怖を煽ることに繋がってしまっているところもあるような気がしてならない。
人は、もしかすると、どんな状況であっても、あるいは、こんな世界的な類を見ない感染であったとしても、「自分の意思でないとそうしない」ということの表れなのではないかなと思う。
一方で、たった今大事なことに気付き我に返る瞬間があった。
それは、医療現場でのひたむきな姿だ。ひたむきというと聞こえが良くなってしまうのかもしれない。万全ではない状況の中、一時離脱をしてしまう人もいて人員的にも万全ではないその現場をテレビで見て、何やらこう、小さい頃親父に頭を引っ叩かれて叱られた時のような、、なんでこんなことにすぐ気が付かなかったんだろうと、、、猛省とはこういうことをいうのだろう。
何一つ文句も言わず、、いや、言っているはずだ、いやいや、あたりまえだ。それでも、見えない敵に立ち向かっている人達を見て、、桜を見に行こうとは思えないな。
この人達は、かえりみずやるしかない!
それに比べてわたしは、手洗いをいつもより入念にたくさんして家にいればそれで良いのだ、、、
そして、みんながこのことに気が付けばとは思うが、、これをたとえばわたしが「みんな!気づいて!」って発信するのは、おそらく少し違うのだろう。
自粛に詰まったら、医療現場で闘う人達を思い出そう。